経営の、個人主義によるリーダシップ
This is my site Written by admin on 2011年10月12日 – 09:00

おはようございます。コンピュータがパーソナル化し、ワープロや

表計算のアプリケーションがのったとき、それまでの手書きをやめ

ました。

管理工学所のワープロ『松』から、ジャストシステムの『一太郎』
、
そしてマイクロソフトの『ワード』と『エクセル』。その間、ワー

プロの、描画と編集の不自由さに不満をいだき、キャノンの、高価

だった『デスクトップ・パブリッング・システム』をメインに使っ

ていた数年もありました。

アップルのユーザーではなかった。使っているものは、わずかで、

CDをwaveのフォーマットでコピーした音楽を聴くためのiPodクラシ
ックです。スティーブ・ジョブスは、いつも、「次はこれにしよ
う」と思える機械を作っていました。

デザインは、「人の想いを記号(あるいは形)にして表す」という

意味のdesignare(シーニュにして出す)から来ています。神の創
造が「自然」とすれば、人工(アート)による、モノの創造の方法

がデザインです。

木の葉を一枚、10分でも観察されたことがあるでしょうか。これ以
上完璧なものはない、余分なものや不足するものは、何もない。し

かも見尽くせない。「完全な美」がここにあると感じるのです。昆

虫も同じです。拡大鏡で見る蚊やアリの、完全なフォルム。

経済的な価値はない。価格は1円もしません。ありふれているから
です。そのため、人はつまらないものという。経済的な価値で、物

事を見るからです。

ジョブスは、かつてのソニーのような会社をつくることをビジョン

にしていました。確かにソニーがつくる家電は、他と違い、美しか

った。機械の美は、機能と外形(フォルム)の調和感から生まれる

ようです。80年代までのソニーの機能デザイン、外形デザインを、

進化させて超えたのがアップルでしょう。

機械につきものだった機能ボタンを消し、さすって伝えるペットの

ようなiPod(2001年)が、その考えを象徴しています。このあとは
、iPodの延長線のiPHONEやIPadです。1品の超大量生産と販売で、
その品目数は、驚くくらい少ない。類似のものを多く作り、各アイ
テ
ムが、いずれも短い市場寿命で、コスト率が高くなるのが普通の会

社と逆です。

デザイン概念は、Simplicityです。カラーは白。鍵は「自分が欲し
くなるモノ」をつくる。それが、人々が求めているモノだからとい

う幻想は、ジョブスの考えの独善、あるいは独断でした。

方法は、製造の各所で必要になる技術マネジャーとの妥協をしない

こと。ジョブス個人の想いを、言葉で語り、鉛筆で絵を書いて伝え
、
デザインする。この表現に長けていた。

芸術家は個人です。妥協は、自分の手の技術との折り合いしかない
。
他方、組織では違う。マーケティング(要は販売見込み)、コスト

管理、技術、資材課、中国の工場との妥協がある。妥協とは「社内

政治」でもあります。各人の意見を、取り入れる、あるいは排する
。
組織のなかでの妥協が加わった産物として、商品化する製品デザイ

ンが決定されています。

ジョブスは、組織をもたない芸術家のように、個人でした。行程で

は、挫折があった。妥協を排すれば、組織では問題を起こします。


アップルのロゴは、子どもが囓(かじ)ったマッキントッシュ(西

洋種の林檎)です。時価総額が$3000億付近(iPod以降40倍)で、

石油のエクソンも超え、世界最大に評価が高い会社になっています
。
いま、何が欠けたか。

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 <559号:経営の、個人主義によるリーダシップ>
             2011年10月12日号

【目次】
1.夏目漱石の『私の個人主義』を手がかりに
2.突き進む
3.権力と金力は、誤って使うことが多く危険
4.経営に通じる生き方の3原則
5.リーダシップ型経営のありかたも示したジョブス
6.激増している独り住まいの需要だが、産業対応は遅れている
【短い後記】

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■1.夏目漱石の『私の個人主義』を手がかりに

われわれが普通に使う「個人」という概念も、実は、わかりきった

ものではない。社会人、公人、私人と個人はどう違うか。いつか書

こうと思っていた漱石の『私の個人主義』を、ジョブスになぞらえ

て書きます。

ほとんどの人は、読んだことがないでしょう。当方、名作と感じま

す。漱石は、自分の考えを、他人が追体験できるような、喚起的な

言葉と文章で、正確に表現する学習を、積んでいます。ジョブスと

いう個性の誕生も、共通に思えます。

<私はこの世に生まれた以上、何かをしなければならん、といって

何をしていいのか少しも見当がつかない。私はちょうど霧のなかに

閉じ込められた孤独な人間のように立ちすくんでしまったのです。

>(以下、<>内は、学習院での学生を前にした講演録からの引
用)

多くの人が、お持ちの経験でしょう。当方、30代後半まで、この悩
みのなかにありました。「何をしたらいいか・・・」、見当がつか
ず、
安易に目先にある適当な仕事で、お茶を濁していました。

<どんな本を読んでも依然として、自分は嚢(ふくろ)のなかから

出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐(きり)は倫敦(ロンド

ン)中探し回っても見つかりそうになかったのです。・・・同時に

何のために書物を読むのか自分でも分からなくなって来ました>

本を読むことは、他人の考え、言葉にしたことの学習でしょうが、

この学習では見つからなかった。漱石は、大学を卒業して中学の英

語教師をしていました。ロンドンに公費留学したあと、煩悶の1年
後にどう考えたか。

<この時初めて、文学とはどんなものであるか、その概念を根本的

に自力で作り上げるより他に、私を救う道はないのだと悟ったので

す。いままでは全く他人本位で、根のない浮き草のように、そこい

らをでたらめに漂っていたから、だめであったということにようや

く気がついたのです>

漱石は「他人本位(需要概念)」という言葉で、他人の考えや評価

に依存して、自分に関するものごとをきめることを言っています。


たとえば、以下のようなことです。この他人本位に対立するのが、

「個人主義」でしょう。主義は、考えのなかで重んじるという意味

です。

<近頃流行るベルグソンでもオイケンでもみんな向うの人がとやか

くいうので、日本人もその尻馬に乗って騒ぐのです。ましてその頃

は西洋人のいう事だと云えば、何でもかでも盲従して威張ったもの

です。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が
、
比々皆是なりと云いたいくらいごろごろしていました。他の悪口で

はありません。こういう私が現にそれだったのです。>

観念論を根拠づけた『物質と記憶(最難関)』のベルクソンや、翻

訳のない哲学者のオイケン(ドイツ19世紀)を、日本は理解したの
か。理解していない。大学の文系は未だに「翻訳文化」でしょう。


他人本位の意味は、お分かりでしょう。自分では分からなくても、

権威ある人、あるいは世間が高く評価したものを大切と考えるのが

他人本位です。。こうした他人本位に、疑問を感じないひとも多い
。

漱石は、ジョブスの個性のように、他人本位では満足できなかった
。
いったん「これは他人本位にのっていることだ」という意識される

と、不安になったのです。以下の引用は、若干長くなります。漱石

という個人はどんな考えから誕生したのか?

<・・・しかし私は英文学を専攻する。その本場の批評家のいうと

ころと私の考えと矛盾してはどうも普通の場合気が引ける事になる
。
そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなけ

ればならなくなる。風俗、人情、習慣、溯(さかのぼ)っては国民

の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。それを、普通の

学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはき

っと乙の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含ま

れていると誤認してかかる。

そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融

和する事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。そ

うして単にその説明だけでも日本の文壇には一道の光明を投げ与え

る事ができる。――こう私は、その時始めて、悟ったのでした。は

なはだ遅まきの話で、慚愧(ざんき)の至でありますけれども、事

実だから偽らないところを申し上げるのです。>

ここから、漱石は「自己本位」という言葉に自分を定着させ、その

立脚点を固める学習に入ります。文学ではなく、科学や哲学の研究

です。

<私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから、大変強く

なりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然(ぼうぜ

ん)と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなけ

ればならないと指図をしてくれたものは、実に、この自我本位の四

字なのであります。>

漱石は、文章を書くことが仕事です。商品創造に似ています。世の

中には、沢山評価の高い商品がある。それ以上のものをつくること

は、ほぼ無理です。ましてや万人が書く文章です。優れたものは、

図書館の本の数くらいある。

他人が評価し、いいと思っているものに、自分が満足できないとき
、
どうするか? その他人自身も、別の人の高い評価を使っているの
ではないか。自分の頭で考えることができる人は、実に少ない。自

分の考えが間違っている。他人の考えが正しいとするのではない。


自分が、なぜそれをいいと思わないか、そこを説明するだけでも、

新しい道が拓けるかも知れない(漱石)。

ジョブスも、自分が満足する機械をデザインしています。漱石がい

う自己本位です。あらゆる創造が、誕生する瞬間がここです。

創造と言えば、神の創造という観念があるため、普通の人には無縁

だと思う。従ってジョブスに、マスコミは、安易に天才という言葉

を冠する。こうした定義からは、何も生まれないのです。

ジョブスの独善という才能は、この自己本位の強度なもので、「自

分がいいと思うものを、他人も評価する」と決めきっていました。

周囲は、「ジョブスは事実を歪曲する」とまで言っていたのです。


IBMは、科学技術計算のコンピュータを事務機にする革命を行った
。
コンピュータは政府や研究所のものではなく、会社が、いろんな計

算に使うものになった。ジョブスは、これを、ますます「個人化」

したのです。

個人の24時間の生活を考える。仕事で使うだけではなく、音楽、遊
び、趣味、コミュニケーションで個人が使う。適する情報機器は何

か? 事務機的なものではない。

個人にとって使い勝手とデザインはどうあらねばならないか。
しかも、最小限のマニュアルで、十分に使えるにはどうするか。

ジョブスは言う。「僕は自分の欲しいものを知っているし、みんな

が欲しがるものを知っている」。

コンピュータと電子機器は、LSIと素子のユニット化で「パーソナ
ル」なものになった。だから、自分個人が欲するものを、みんなが

欲する。これは、1980年代には、通用しなかった考えです。

<その時、私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝

(いんうつ)な倫敦(ロンドン)を眺めたのです。比喩(ひゆ)で

申すと、私は多年の間懊悩(おうのう)した結果ようやく自分の鶴

嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです
。
なお繰り返していうと、今まで霧のなかに閉じ込まれたものが、あ

る角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事

になるのです。>

自分に照らして、世の中を見て評価すること、これが、漱石が自己

本位という言葉で表現したことでした。彼は、この考えに至るまで

30年かかったと言っています。30年は、世間を照らす自分を確立す
る時間だったのかも知れません。

孔子も「30にして立つ。40にして惑わず、50にして天命を知る。
60して耳順(した)がう。70にして心の欲するところに従って、規
(のり)をこえず。」と言う。現代は、学習に時間がかかるので、

40にして立つと10年をずらせば、適当かもしれません。

小林秀雄は、自分自身を振り返って、孔子も振り返り、反語的に言

っています。「孔子は、40にして惑わずと言った。40(現代は50歳
付近)まで、(自分の道に)惑わない人などいないのです。」

考えに、年齢が重要だとも言う。「現代の思想(科学的思考)は、

人の考えに年齢が重要だということを、あまりに、無視しすぎてい

ます。30歳で考えることと、50歳で考えることには違いがある。こ
れが思想でしょう。(小林)」

漱石は、ほぼ30歳にして、自己本位の上に「立った」。

<もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、ど

んな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てるところまで行っ

たらよろしかろうと思うのです・・・いけないというのは、もし掘

りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰

になって、世の中にまごまごしていなければならないからです。>


「中腰になって、世の中にまごまごしていなければならない」、こ

れで、不愉快なままに、終わる人も多いに違いない。組織でも、こ

うした人が多いと弱い会社になります。

上や他人に従属的な人生です。役職や立場が、上とか下とかいうの

ではない。平社員であっても、個人としての立脚点に立った、「自

分に照らしていいと思うことをする」こlとはできるのです。

大きな会社に、「中腰になって、世の中にまごまごしていなければ

ならない」ような仕事している人が多いと感じます。ここが、経済

が成長しなくなった原因でもあるのです。

「突き抜ける」とは、個人の立脚点に立った仕事をすることです。

会社も、本来、それを求めているでしょう。

しかし突き抜けても、どこへ行くべきかは、だれにも分かっていま

せん。突き抜けて、新たな困難にぶちあたるしかない。困難は連続

します。困難だから、やる気も出る。そして、それが幸福に通じる

と漱石は言う。確かにそう思えます。

■2.突き進む

<それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合に

もしばしば起るに違いないと私は鑑定(かんてい)しているのです

が、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行

くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事とし

ても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょう

か。>

これを古人は「天命を知る」と言う表現で言いました。孔子が、個

人に立脚した自分の天命を知ったのは、50才(現代なら60才)です
。生涯かかるということでしょう。

<どんな犠牲(ぎせい)を払っても、ああここだという掘り当てる

ところまで行ったらよろしかろうと思うのです。>

ジョブスは、2001年のiPod(46才)で、ここを掘り当てるところま
で行ったのでしょう。ジョブスにして、46才です。

<ああ、ここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当て
た! こういう感投詞を心の底から叫(さけ)び出される時、あな

たがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。>

漱石ですが、英語に変えればジョブスです。

「自己実現」と言われるものも、これです。人の5段階の欲求を研
究し、仕事における自己実現を説いたマズローも、おなじことを言

っています。(欲求の5段階:生理的欲求(本能)→安全への欲求
(生命)→社会的欲求(立場)→尊敬への欲求→自己実現への欲
求)

<この上ない安らぎを得たいのであれば、音楽家は曲を作り、詩人

は詩をつくる必要がある。人間は自分がそうありうる状態を目指さ

ずにはいられない。こうした欲求を自己実現ということができる
(マズロロー)。>  

明治の時代も、2010年代も同じです。いや平安時代や縄文時代も同
じだったかも知れません。漱石が、英文学者から小説を書くように

なっていったのは、自己本位の立脚点に立ったからです。これを別

の言葉で、自己実現とも言う。

<「(土の)削りくずの山をつくりなさい」 著名な陶芸家は、帰
り際に言った。「朝食を済ませたら、すぐ作品作りにとりかかるこ

とです。」)(マズロー)>

たしかに当方の乏しい経験でも、原稿にのっているときは、朝起き

ると、顔も洗わず、朝食はもちろんなしでパソコンに向かうことが

多い。のっていないときは、他のことを済ませねば原稿にはとりか

かれないと言い訳をしています。そして、その結果は、ぐずぐずし

ています。

■3.権力と金力は、誤って使うことが多く危険

『私の個人主義』には、権力と金力に対する言及もあります。権力

は他人に強制する力です。この点で、金力も似ています。お金の力

で、他人を、従属させることができます。権限と言ったときは、会

社などの階級(長)に付帯した強制力です。部下に命じることがで

きる。

実は「経営」について、その方法をまとめようとしていたとき、多

くはドラッカーに借りたのですが、『私の個人主義』で漱石が言っ

た、個人主義、権力、金力はおおいに参考になったのです。会社は
、
階級的な組織でもあるからです。

▼自己実現と権力

<仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまり

あなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれ

が幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個

性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。>

これは「自己実現」のことを言っているというのはもうお分かりで

しょう。このとき、権力はどうかかわってくるのか?

<今申し上げた権力というものを吟味(ぎんみ)してみると、
権力とは先刻(さっき)お話した、自分の個性を他人の頭の上
に無理矢理に圧(お)しつける道具なのです。道具だと断然云い切

ってわるければ、そんな道具に使い得る利器なのです。>

つまりこれが命令するということです。自分の考えを、他人に行わ

せるように強制する。政治家が求める政治的権力も、自分の命令を

人に強制する力を求めてのことでしょう。これが、国民の統治(政

府つまりガバーンメントの原義)になると困ります。「規制」がこ

れです。政府、政治家は、規制を多くつくることを行う習性をもっ

ています。端的に言えば、自分の自己実現を他人に強制することで

す。金力はどうか?

<権力に次ぐものは金力です。これもあなたがたは、(学習院の学

生ですから)貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。この

金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するた

めに、他人の上に誘惑(ゆうわく)の道具として使用し得る至
極重宝なものになるのです。>

なるほど、組織の階級が与える権力がなくても、金力があれば、人

に強制できます。お客は(お金を払うから)、勝手なこともできる
。
愛情すらお金で買えると言ったのは誰だったか(想像してくださ
い)。

政治家が、政治権力と金力を同時に得たいと思うのも、人に強制す

る力を自分のものにしたいと考えるからです。

最近、小沢一郎が嫌われるのは、田中角栄風な政治権力と、政党助

成金(議員1人あたりで1年に4000万円)を、自分の味方作りに使う
金力のためでしょう。政党助成金は、小選挙区と合わせて、政治改
革として小沢氏がつくったものです。この助成金は、党の幹事長が
差配します。これが、味方を作る原資になる。

【階級的な権力】
<そこで前申した通り自分が好いと思った事、好きな事、自分と性

(しょう)の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させ

て行くうちには、自他の区別を忘れて、どうかあいつもおれの仲間

に引(ひ)き摺(ず)り込んでやろうという気になる。その時権力

があると前云った兄弟のような変な関係が出来上るし、また金力が

あると、それをふりまいて、他(ひと)を自分のようなものに仕立

上げようとする。すなわち金を誘惑の道具として、その誘惑の力で

他を自分に気に入るように変化させようとする。どっちにしても非

常な危険が起るのです。> まさに、小沢一郎です。

会社にとっても、上が階級的な権力や金力で動かそうとすると、漱

石が予告したような危険が、100%、起こります。じゃ、組織は、
何によって動かすべきか?

▼リーダシップ

「**長」がもつ階級的な権力に代わるものが、「リーダシップ」

です。共感できる方向を示す力です。階級的な強制権力ではない。


ジョブスの商品作りは、社員を権力で動かして、つくったものでは

ない。「こんな商品をつくろう」という商品開発者の立場のアイデ

アが経営の方向を示すリーダシップになっています。

強制権力では、まだ世にはないiPodはつくれない。強制権力でつく
れるなら、他のところもつくることができたはずです。ジョブスの

アップルは、「技術者の理想工場をつくる」ことが初期のビジョン

だったソニーのようなリーダシップ経営でした。

【ビジョン】
「ビジョン」が引っぱる経営と言っても同じです。ビジョンは、
「こうあろうと想う会社の姿」です。ビジョン作りでは階級はない
。
階級の上の人がいいビジョンをつくることができるとは言えないの

です。

わが国の@経済が低成長になった根底の理由は、社員と顧客が共感
できるビジョンがなくなっているためでしょう。いま、製造業や小
売業にも、階級的な組織が増えているように感じます。

ビジョンは、未来に実現すべきことです。未来は、常に、新しい。
政党ではマニフェストでしょうか。

売上が上がらない失敗が増えたため、新しいことは提案しない。新

商品にはリスクがあるからです。上が命じることの範囲で、仕事を

行う。自分の立場に安全だからです。新しい商品がつくったかも知

れない機会損失は、損益計算書には見えません。他方、実際につく

った新商品の失敗は、損失になるからです。

ジョブスが原価計算に疎かったかというと、全くそうではない。彼

は、1商品で100万台ではなく、1000万台、1億台売れる商品を考え
ています。その点で、スーパー・マーケター(超市場主義)です。


アップルは、アイテムは少なく量産の規模が桁違いです。世界中の

工場を、詳細に調べています。大田区の町工場の、金属の鏡面仕上

げの光りかたと手触りが優秀と、iPodの裏蓋を発注しています。コ
スト適地でのOEM生産です。(注)コストの最適=商品価値の最大
=[品質÷価格]の高さです。単に安いということではない。

やっかいな権力に対し、漱石は言う。

<それで私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の

個性が発展できるような場所に尻を落ちつけるべく、自分とぴたり
と合った仕事を発見するまで邁(まい)進(しん)しなければ一生
の
不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、

社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼ら

の傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要

でかつ正しい事としか私には見えません・・・自分が他(ひと)か

ら自由を享有(きょうゆう)している限り、他にも同程度の自由を

与えて、同等に取り扱(あつか)わなければならん事と信ずるより

ほかに仕方がないのです。>

そして、経営の根幹になる、権力に対する考えが以下です。

【権力は義務を伴う】
<元来をいうなら、義務の附着しておらない権力というものが世の

中にあろうはずがないのです。私がこうやって、高い壇の上からあ

なた方を見下して、一時間なり二時間なり私の云う事を静粛に聴い

ていただく権利を保留する以上、私の方でもあなた方を静粛にさせ

るだけの説を述べなければすまないはずだと思います。>

義務(または責任)を負うから、権限がある。これが、個人が集ま

って秩序をつくっている近代社会の、根底の原理でしょう。

具体的に言います。マネジャーは、チームの利益の達成責任を負う
。
その責任を負うということを背景に、チームに命じる権限がある。

これがマネジメントです。マネジメントは、利益の達成責任から、

生まれるものです。

<別の例を挙げてみますと、あなたがたは教場で時々先生から叱ら

れる事があるでしょう。しかし叱りっ放しの先生がもし世の中にあ

るとすれば、その先生は、無論、授業をする資格のない人です。叱

る代りには骨を折って教えてくれるにきまっています。叱る権利を

もつ先生はすなわち教える義務をももっているはずなのですから。

>

マネジャーが部下を叱る。そのマネジャーは、部下を教育して、も

っと効率的な仕事をする方法を教える義務があるから、部下はその

叱責を聴く。こうした、マネジメントの方法になるのです。動かす

のは権力や権限でない。

金力はどうか?

【人格が必要な金力】
<金力についてもおなじ事であります。私の考(かんがえ)による

と、責任を解しない金力家は、世の中にあってならないものなので

す。その訳を一口にお話しするとこうなります。金銭というものは

至極重宝なもので、何へでも自由自在に融通(ゆうずう)が利く。

たとえば今私がここで、相場をして十万円儲(もう)けたとすると
、
その十万円で家屋を立てる事もできるし、書籍(しょせき)を買う

事もできるし、または花柳(かりゅう)社界を賑(にぎ)わす事も

できるし、つまりどんな形にでも変って行く事ができます。そのう

ちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではあ

りませんか。すなわちそれをふりまいて、人間の徳義心を買い占
(し)める、すなわちその人の魂(たましい)を堕落(だらく)さ

せる道具とするのです。>

なお、人がマネーを求めるのは、生きることにおいての、自由度の

高さを欲するからです。お金がまるでないことを想像すれば、いか

に不自由か。お金は、経済的な面では、万能です。

「責任を解しない金力家は、世の中にあってならないものなので
す」

この点から、金融資本や、ファンド資本は、どうかと思うのです。

ウォール街では、金融の経営層やマネジャーに集まった金力に対し
、
連日、大規模なデモが起こっています。

1990年代からの、規制が撤廃されてきた金融の幹部層の報酬は、普
通の人の10倍から100倍です。経営層は1000倍以上。異常な時代だ
ったと10年後には言うでしょう。(注)欧州の金融危機、米国の金

融危機で終わるからです。

■4.経営に通じる生き方の3原則

<第一に自己の個性の発展を仕(し)遂(と)げようと思うならば
、
同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己

の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随してい

る義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の

金力を示そうと願うなら、それに伴(ともな)う責任を重じなけれ

ばならないという事。つまり、この三カ条に帰着するのであります
。
>

生き方と、経営は根では変わらない。漱石は企業経営には無関係で

したが、「自分の生き方」を突き詰めることから「普遍」に至って

います。普遍は、さかのぼれば、単純です。

<ほかの言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養

を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価

値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それ

をもう一遍(ぺん)云い換かえると、この三者を自由に享(う)け

楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受

ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものがむやみ

に個性を発展しようとすると、他(ひと)を妨害する、権力を用い

ようとすると、濫用(らんよう)に流れる、金力を使おうとすれば
、
社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険な現象を呈(てい)するに至

るのです。>

人格とは性格のことですが、ここの意味は、倫理を備えた人格です
。
言葉は明治のものです。内容は、現代です。個を突き詰めれば普遍

に至る。全体を見ることができないわれわれには、この方法しかな

い。

■5.リーダシップ型経営のありかたも示したジョブス

ジョブスに、トップマネジメンが管理者ではなく、商品創造者であ

ったリーダシップ経営の、実践の典型を見る思いがします。

「さぁ、次はこんな商品をつくろう。まだ、どこにもない。これは
、
自分が欲しいものだからだ。だから、みんなが欲するはずだ。」

彼には、自分が世界を変えるという自負がありました。電子機器は
、
売れる量が少なくて高額な法人需要から、10万円パソコンで米国で
も1億世帯が対象になるファミリー需要になっていました(1990年
代)。

しかしその商品概念は、パソコンと言いながら、個人のものではな
かった。Windowsの宣伝には、いろんな人種の家族が出てきていま
した。商品コンセプトがファミリーだったからです。米国では、全
員が、個人で確定申告しなければならない。この時の、申告書をつ
くる事務機の需要が大きかったのです。

コマンド型だったMS-DOSを脱して以降、アイコンやマウスの商品コ
ンセプトでアップルを追ってきたWindowsの画面を見れば、windows
7でも、事務機です。

ジョブスは家庭用事務機という概念を、捨てます。毎日、24時間の
生活で使う機械にした。電話も、携帯で、ファミリーのものから、
完全に個人化しています。まさにパーソナル・コンピュータに変わ

っていた。ここに目をつけたのです。

パーソナルだから、家庭に1台ではない。ペットのような感じに作
らねばならない。4倍の4台は売れる。量産ができる。1990年代のア
ップルは高かった。2006年頃から、急に安くなった。パーソナルの
需要に適合したからです。

パーソナルな需要だから、自分独りで何がいいか考え得る。スー
パー・マーケターというのは、需要変化を見ていたからです。

■6.激増している独り住まいの需要だが、産業対応は遅れている

日本では、セブン・イレブンに、需要変化を直視する姿勢が見えま

す。ありきたりの総菜ですが、容量が少ないことに気がつかれるで

しょう。

わが国では、人口は増えない。むしろ減っています。人口が増えな

いと、平均年齢はどんどん高まる。そして、減るなかで逆に増える

ものがある。独りで食事し、独りで生活する単身世帯です。

1980年の単身世帯は710万軒でした。総世帯数の19%でした。2011
年6月は1588万世帯で、2.2倍です。独り暮らしは総世帯のなか32
%です。2010年代、少子高齢化は、いよいよ本番を迎えます。ます
ます同居の家族数は減り、単身世帯が増えます。

【2010年の、同居人数別の軒数:総務省】
1人     1480万軒(29.5%)・・・最大構成比になった
2人     1425万軒(28.5%)
3人      910万軒(18.2%)・・・家族イメージ
4人      780万軒(15.6%)
5人      295万軒 (5.9%)
6人以上  110万軒 (2.2%)

家族イメージは、今も、4人や3人でしょう。しかし、小家族の実態
は、はるかに早く進んでいます。1人や2人になると、家庭で料理を
作る回数は減ります。キャベツやスイカも1球は買えない。腐るか
らです。カレーライスを作っても、数日続けて食べることになる。

すき焼きはできない。しかし野菜は食べたい。幕の内弁当のように
。
いろんな種類を食べたい。1品で売られている量が多すぎるのです
。

このため、コンビニの小さな総菜になる。料理は、ファミリー需要

のイメージです。かつては増えていた「ファミレス」も、まさにフ

ァミリー・レスになって、減っています。かつてはナンバーワンだ
ったすかいらーくが、米系ファンドに買収された(10月11日)のは
その象徴でしょう。

夜8時にコンビニに行ってみて下さい。10人の客はいます。顧客単
価は、一回、600円付近です。日販は50~60万円です。延べ800~10
00人もの客が、小さなコンビニに集まっています。平均商圏人口は
2000人です。勘定が合わない。2000人の住民のうち1000人(50
%)が行っているとは思えません。1人で1日2回行く人も多い。1食
で400円から500円付近と考えていいでしょう。

黙々と食べる牛丼やラーメンでは、やはり、寂しい。コンビニが、

独り住まいの食事を提供する。独りで行っても、十分に楽しめる、

日常価格のレストランは、ほとんどない。産業の側に、需要変化を

見ることが、遅れています。食品スーパーの商品構成は、3人家族
が対象でしょう。

増える需要は何か。ここに、ビジネス開発の鍵があります。独りで

生活するのに適合した商品はなにか?です。独りになると新聞も取

らない。そのためチラシは効かない。固定電話もない。政治での当

票も、変わります。行くところも変わる。休日に公園ではない。趣

味の時間が増える。気の置けない仲間や友人が大切になる。

よく言われる、高齢化という商品概念ではない。年齢で商品概念は

変わることは少ない。65才以上の食品、衣料、家電では売れません
。あらゆる品種で「独りで、生活するのに適合した商品」です。

世帯の変化で付け加えれば、無職世帯が34.8%(1740万軒)と最
大多数です。何も仕事をしていない人の世帯が最大ということにも

驚くでしょう。ちなみに、職業別の世帯数は以下です。あなたの会

社の商品は、どこが需要の対象者でしょうか?

無職世帯      1740万軒(34.8%)→年金世帯+全年代失業世帯
民間会社勤め  1240万軒(24.8%)→サラリーマン:中間層
常用労務作業  865万軒(17.3%)→各種の現場作業員
商人・職人    465万軒(9.3%)→個人経営:所得格差が大きい
個人経営      405万軒(8.1%)→所得格差が大きい
公務員        380万軒(7.6%)→安定した高所得に転じている
法人経営者     97万軒(1.9%)→格差大
自由業         85万軒(1.7%)→格差大
農林漁業       45万軒(0.9%)→農業、漁業の専業
臨時労務       25万軒(0.5%)→日雇いやアルバイト      
     
2000年代から、わが国には、中間層はどんどん少なくなって、低所
得化しています。劇的な変化が、いま、起こっているのです。

公務員が安定した高所得になったのは、70%の人が勤める民間の中

小企業は35才までは賃金が上がりますが、その後、平準化するから
です。なお、大企業ではほぼ50才まで賃金が上がり、その後平準化
し、60才で半額に減少します。

改めて言えば、この国のマーケターは、市場の需要変化を見ていな

いと感じます。未だに、薄くなった中間層を対象にしたコンセプト

の商品開発だからです。

【後記】
PIIGSの国債危機が、欧州銀行(主要19行)の倒産に波及しました
。11年7月のストレステスト(資産査定)では、問題ないとされて
いました。欧州当局は、嘘の発表をしても平気です。近々、3番目
の大国イタリアの国債下落と、満期が来る東欧の不良債券が加わり
ます。

欧州の金融機関の隠れた不良債券は、私見では、500兆円です。欧
州の、主要銀行の自己資本100兆円の5倍です。

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