正月の随想:貢献と成果(1)
This is my site Written by admin on 2004年1月6日 – 08:00

あけまして おめでとうございます。正月も3日を過ぎると、普通の日
々に戻った感じがして、かすかな失望を感じます。

もっとも充実している時間に思えるのは、私の場合、12月31日の
大晦日(おおみそか)です。元旦もお昼過ぎになると、「大切な時間
が、無為に過ぎてしまった・・・」という感じがあり、2日、3日と
その感覚が強くなります。

変な例えですが、目標や願望の達成にも似ています。目標を達成する
寸前が、もっとも濃い時間であって、達成すれば、なんだこんなこと
かと思え、3日もすれば、まるで普通のことになる。

キリスト世界にとってもクリスマスは前夜、24日のイブがクリスマ
スの時間。大晦日と似ています。本当の正月とは、12月31日なの
かもしれません。

待ち合わせで会う、約束の直前の時間。時計の秒針を見るときの焦燥、
不安、熱い期待も同じ質のものです。

いずれにせよ外的な時間は私に無関係に過ぎる。内的な時間、自分自
身が決める日々、時間、こちらに重心を置くことができるとき、成果
へ向かう、充実した時をつくることができると思えます。

残された時間は、いつもたっぷりある。どこまでもやっかいなのは自
分。自己コントロールはどうやればできるのか? 未だに回答は見つ
からない。

自身のコンロトールには自己目標という方法しかないことは知ってい
ます。おそらくだれもが知っている。知ることと、実行できることに
は、氷河のクレバスのようなへだたりがあります。

そこにブリッジをかける。どんな方法があるのか、自己目標は、どん
な構造をもっているのか、正月の随想のテーマはこれにします。
(2週間のお休み、申し訳ありません。)

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    <Vol.179 正月の随想:貢献と成果(1)> 

 1.曙の挑戦
 2.完全な黒豆
 3.成果をあげる
 4.貢献と成果

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■1.曙の挑戦

大晦日のテレビで、曙がボブ・サップで戦ったのを見ました。どんな
理由で曙がK1に行ったのか知りません。お金か、名誉か、意味か、
格闘家としての闘争心か。

イエロー・ペーパー的には、何かの理由があるのでしょう。しかしそ
れには関心がありません。相撲の力道山がプロレスを始めたこととも
違う。野球をやめたジャンボ尾崎がゴルフに転身したのとも違う。い
すれも道半ばでの転換でしたから。

相撲で最高位の横綱になり、現役を引退して「年寄」になれば、その
世界では、位人心を極めたことになるでしょう。しかしこの「年寄」
は、世間の年齢では若い。会社勤めなら、30代前半はまだよちよち
の現場職です。

若く引退するスポーツの世界では、例えば金メダルをとったあと、生
きる方法が難しい。時間はたっぷりある、あの栄光は戻ってくること
はない。リビングルームに飾った盾、賞状、メダルは、お墓に見える。
これからどう生きるか?

視聴率は紅白歌合戦を、瞬間で超えたと言います。多くの人は簡単に
負けるだろうと予測していた。どう負けるかを見たことになります。
曙は、2発のパンチで失神した。マットにうつぶせに伏した。

これ見たとき、ふと思いだしたのです。

<またもや一礼終わって、(切腹に臨む)滝善三郎は上衣を帯元まで
脱ぎ下げ、腰の辺まで露わし、仰向(あおむ)けに倒れることなきよ
う、型のごとく注意深く両袖を膝の下に敷き入れた。高貴なる日本士
人は、前に伏して死ぬべきものとされたからである。『武士道』(新
渡戸稲造)>

以前、<アイデンティティの淵源>で書いたことです。
http://www.cool-knowledge.com/021216identity-no-engen-bushido(1).htm

曙は前に伏して倒れ、しばらく動かなかった。偶然のことかもしれま
せんが、KOされ仰向けに倒れたとすれば、その後の印象はまるで変
わった。

武士道の切腹の儀を知らなくてもわれわれの下記憶には、歴史がDN
Aのように積み重なっているのでしょう。伏したとき、多くの人が、
下記憶で曙はよくやったと思ったのかも知れません。

曙は勝った。商業的に勝った。仕事をした。成果をあげた。冒険は成
功した。

「相撲で負けるとボロクソに言われるのですが、負けて褒(ほ)めら
れるのは初めてです」と本人は言っています。

おそらく、これからも何回も、K1に登場する。結果ではなくチャレ
ンジを讃える人が、この国で増えているとすれば、アメリカ的です。
ハワイから相撲への入門も、挑戦だった。

野球の松井と同じ印象を与える曙の誠実で真摯な話し方が、人格をあ
らわしています。松井も巨人の4番を捨て、メジャーに挑戦した。イ
チローも、サッカーの中田英寿もそうだった。

自己目標での挑戦、人はそれを感じ、讃える。

さて新年。自分の自己目標は何か? 計画ではなく、重要なことは目
標です。計画は、守ることができない。

目標を創り、創造し、挑戦する。あとは、使う時間の配分です。時間
はたっぷりある。

幸い、私にはいろんな仕事があります。こなせないくらいの量です。
挑戦します。自分で計画を立てる必要はない。瞬間に集中すればいい。
これは幸福なことです。

しかし何事でも、やる前に成功や成果の目算があるわけではない。漠
然とした完成イメージだけはあります。そして実際に取り組めば、途
中は、困難だらけであることを知っています。

困難を超えるには、目前のことに集中するという方法しかないことも、
経験から知っています。自分を集中させることができるかどうか、
問題はそこです。

ひとつのことをやっていると、別のことに逃げたくなる。これを抑制
することです。今やらなければ、将来できることもないと決めること
です。これが、おそらく自己コントロールでしょう。

集中とは、他のことを捨てることでもあります。
捨てるから得られる。会社も、事業も、仕事も同じです。

過去に成功し、しかし今はダメで、将来もダメだろうことを捨てる。
過去を現在に忍び込ませれば、時間はいくらあっても足りない。選択
は、捨てることによる獲得です。

過去に得たものを、今の仕事にしている人が多い。
過去を、今日の仕事にしてはいけない。

曙は栄光の過去を捨てた。K1で最後はボロボロになることはわかっ
ています。しかし挑戦した。彼は、並の人間ではないと思えます。

捨てれば時間が空きます。
時間こそ、最後の資源。

自己目標は、挑戦という構造をもっています。

■2.完全な黒豆

燗(かん)をした日本酒を杯にそそぎ、家人に「おめでとう、今年も
よろしく」と言う。杯をあければ、それが正月。

祝い箸を紙のケースから抜き、塗りの重箱のお節を摂(と)る。凝縮
された味がある。元旦の朝の、楽しみです。さて今年はどうするか。
「集中」と決めました。

立派な計画は何もない。集中だけです。コンセントレーション。

ふと箸でつまんで「黒豆」を食べた。

信じられないレベルに達した歯触り、舌触り、味でした。食の完全と
いう形容があるとすれば、これだと思った。ある人の好意でいただい
た「吉兆」のものでした。

2粒食べ「すごい味だ」と思った。およそ豆は、お節の添え物に見え
ます。脇役に思えます。記憶に残る限り、正月の黒豆を特に美味しい
と思ったことはない。意識したことは、ないのです。

おそらく高価なものでしょうが、価格を超える意味がありました。料
理人の技と心が伝わってきた。日本人の文化は、頂点でこうしたもの
をもつ。「ホンモノ」に至ったものは、変わらぬ価値をもちます。

ホンモノへの挑戦。仕事でもっとも大切なことです。技は極めれば心
になる。そこまで達すれば、価格は二の次でしょう。

http://estown.e-milenet.com/NASApp/mnas/MxMProduct?SHOP_ID=10065

瓶詰で2本入り (丹波黒豆 やわらか昆布)で5600円、黒豆だけ
なら2800円でしょうか。高いと言えば、高いものですが。

黒豆は、完全ということを教えてくれました。
完全には、心がある。

■3.成果をあげる

<成果をあげるための実践的な能力は5つある。第一に何に自分の時
間がとられているのかを知り、残されたわずかな時間を体系的に管理
する。第二に外部の世界に対する貢献に焦点を合わせる。第三に強み
を中心に据える。第四に優先順位を決定し、優れた仕事が際だった成
果をあげる領域に力を集中する。第五に成果をあげるよう意思決定を
行う。(『経営者の条件』(ドラッカー)>

ドラッカーの膨大な著作は、この5項に集約できます。

1.時間配分
2.外部への貢献
3.強みを更に強くする
4.優先順位を決め、集中する
5.成果をあげるよう意思決定

私が、すこしわかるようになってきたのは、2.外部への貢献と、4
.優先順位を決め、集中することです。

しかし、この中でも、優先順位の決定はできていません。外部への貢
献は、60%くらいわかるようになってきました。全体を5点法で採
点すれば、以下です。

(04年1月6日時点の自己評価)
1.時間配分           0.1点
2.外部への貢献         0.6点
3.強みを更に強くする      0.2点
4.優先順位を決め、集中する   0.5点
5.成果をあげるよう意思決定   0.1点

合計               1.5点

5点法の通知表では2点でしょう。自分の時間配分と優先順位を決め
ることは、ほぼ同じことを言っています。両方とも、今の時間を何に
割り当てるかということです。ここはできていません。目の前のこと
をやっている感じです。

外部への貢献。これは、ここ数年、意識しています。人にどう貢献で
きるか。自分にとっていいことではなく、自分がどう貢献できるかを、
次第に考えることができるようになってきました。

「相手がよろこぶことを自分のよろこびに」を目標にしてはいますが、
まだそこには至っていません。

仕事は自己中心ではダメだというということは理解しています。
(生活はまるで自己中心です)

強みを更に強くする。自分の強みが何であるか、まだよくわかってい
ません。逆に考えて、弱みはわかります。消去法でいけばいいのかな、
と考えています。それで、0.2点です。

優先順位を決め、集中する。強みが何かわかっていないので、優先順
位付けができていません。優先順位付けは、0.1点。集中はわかる
のでこれで0.5点、小計で0.6点です。

成果をあげるよう意志決定。これもよくわかっていません。挑戦はわ
かります。挑戦して集中すれば、なんとかなると思っています。

これはおそらく、まだ、私の漠然と感じている自己目標が低いせいで
しょう。自己目標を高くおけば、できないことが多くあることがわか
る。そうすると、優先順位も決まる感じをいだいています。つまり、
わかっていないので0.1点です。

5点満点で、総評価1.5点が、私の現在のレベルです。
3点位を目標にします。

あなたも、自己採点してみて下さい。新年です。

さて<貢献と成果>です。

■4.貢献と成果

<成果をあげるには、自らの果たすべき(自分以外の外部への)貢献
を考えなければならない。手元の仕事から顔を上げ、目標に目を向け
る。組織の成果に影響を与える貢献は何かを問う。そして責任を中心
に据える。(『経営者の条件』同上)>

アダム・スミスは、自己利益の徹底した追求が、(市場で)神の見え
ざる手に導かれて、社会の全体の富を増やすことになる、という論理
を展開しています。(『国富論』)

これがおよそ資本主義社会の競争原理とされるものの根底です。こう
した自己利益なら、だれでもわかる。自我の肯定です。

問題は、市場です。自由な競争市場があるとき、という限定条件つき
で、自己利益の徹底した追求が、社会のためになるという点です。

自己利益の追求が、自由競争を通じ、適者生存を促し、その適者生存
によって、社会全体の富が増えるとした点です。

完全な自由市場は、究極で言えば、勝者がひとり勝ちする世界です。
多くは敗者になる。

アダム・スミスの自己利益の肯定は、「優れものが一人勝ちし、多く
は敗者になる。敗者と勝者がでるから社会の富が増える。」と言って
いることになります。

多くの人は、この適者生存の市場を忘れ、自己利益を肯定しているよ
うに思えます。ここから、間違いが起こる。

論理の間違いです。1+1を3と間違えるようなあからさまな間違い
です。

我欲の人は自分を勝つ側に置いています。負けることが多いのに・・

だから、<成果をあげるには、自らの果たすべき(自分以外の外部へ
の)貢献を考えなければならない>のです。

自分以外のもの、他人、周囲、世間、会社、顧客、社会への貢献を先
に考えると、自分がずいぶん楽になります。これも経験上から言える
ことです。多くの人が、自己利益中心で動いているからです。

あなたも、周囲にどう貢献するか、考えたらどうでしょう。

昨年、ある社長と出逢いました。人が何に関心をもっているか、注意
深く観察する人です。当然のこととして、ビジネスで成功をおさめて
います。いつも、会うたびに感嘆します。

心の奥の我欲はだれでもある。心の奥は問題にしなくてもいい。

課題は、他への貢献の行動です。貢献するには、<組織の成果に影響
を与える貢献は何かを問う>ことです。自分の成果ではない。組織の
成果です。つまり、他人への貢献です。

<そして責任を中心に据える>、責任とは、周囲のために自分が何を
なすべきかを先に問うということです。人、周囲、会社、世間への期
待ではない。自分が、他に対して何をなすべきかを問う。

多くの人は、自己中心です。だから、他利を図る人がいれば、評価さ
れます。実行すれば、あなたへの周囲の評価が、一変することを保証
します。

一旦それを知れば、我欲で動くのが、ばかばかしくなるはずです。

人が得たいのは、自分以外の人からの高い評価でしょう。自己中心の
人を、自己中心の周囲が、評価するわけがない。我欲は論理ミスです

対顧客でも、全く同じです。それが、顧客満足、顧客中心経営という
ことの、本義です。収入も給与も、顧客からしか来ないのです。

アダム・スミスも、正当に読まれなければいけません。

(注)小売業の経営者に自己中心の人が多いのは困ったことだと思っ
ています。印象では80%くらいでしょうか。これでは、将来のビジ
ネスの成功はありません。これも、保証できるのです。

でもだからこそ、貢献を先に考える人が成果をあげ、評価を獲得する
とすれば、それもいいことかも知れませんね。(笑)

今年から、自分を中心に置くのではなく、貢献を中心したらどうでし
ょうか?

<ほとんどの人が・・・成果ではなく権限に焦点を合わせる。組織や
上司が自分にしてくれるべきことや、自らがもつべき権限を気にする。
その結果本当の成果をあげられない(『経営者の条件』)>

私は、貢献を自己目標にします。

【お知らせ1】2月中旬に『利益経営の技術と精神』というタイトル
で、約400ページの新刊書を出します。昨日、第一回のゲラ校正が、
終わったところです。二回の校正をやります。

【お知らせ2】
↓シャーリーの写真です。多くのお便りありがとうございました。
http://www.cool-knowledge.com/040116shierlypicture.htm

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      <130号:会社と日本の未来(1)>

         近代化以降にあるもの

第一部 目次

 1.近代を作った根底の概念は「モノへの所有権」
 2.そして、法人という疑似人格
 3.株式という方法
 4.経営者とは何か?
 5.信任の重みからの再興
 6.近代化の終焉
 7.この国の特質
 8.信任からくる義務の強烈さ
 9.近代的自己愛と信任義務という倫理
10.株主資本主義が犯した論理矛盾
                 (次号へ続く)
                
【趣旨】

人はモノを占有できる、しかし、人は人を占有できない。
これが近代主義の本質です。

自分以外の何ものによっても支配されない自立した存在、これが、近
代が定義した人間でした。個人という概念は、ここから生じています

法人は、モノの所有権をもち、商取引の契約ができるという点でヒト
に似た人格権を与えられています。

しかし、株式会社を理解するのは、実は、容易ではない。

株主は、会社の株式をもっているだけです。会社に対しては、株主総
会での議決権と利益配当要求権があるだけです。会社の所有物は、株
主には帰属しない。会社の資産も負債も、株主のものではない。

とすれば、経営者とは何か?

経営者の本質への考察から、信託義務という、コーポーレート・ガバ
ナンス、つまり、ステークス・ホルダーに対する信任義務という21
世紀的な、新しい概念が生じます。

そこに、アダム・スミス以降の近代を超えるものを見いだすのです。

英米的な株主資本主義が、80年代以降、犯した論理矛盾があきらか
になります。

以下本文で。

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