こんにちは、吉田繁治です。すっかり秋めいてきました。「情熱とは
何か原因か?」ということに解を見いだせぬまま、2週間がすぎまし
た。
前稿の<事業家の無私>に続き、事業家のイリュージョン(幻視)に
ついての随想(エセー)です。
事業家は、未来への幻視に情熱的に憑かれ、方法をもった人だという
のが、今のところの結語です。これが、以降の、言葉との格闘でどう
向かうか。若干、長文です。
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<Vol.198:事業家のイリュージョンあるいは環世界>
【目次】
1.事業家の情熱の始原
2.静かな情熱
3.環世界とイリュージョン
4.未来への投企
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■1.事業家の情熱の始原
大成した事業家の多くを調べれば、マネーを超えるものへの情熱と言
うべき情念に駆られていることが、否応なく分かる。
他方、小成した事業や破綻した事業は、マネーへの情熱で終わってい
ることが多い。
小成の事業には、人はマネーを動機に集まりマネーがなくなれば人が
離れていく。しかし大成した事業には、情熱と価値観を主原因に、中
核となる人々が集まってくる。
マネーだけが人の仕事の動機なら、成功した結果としてマネーが潤沢
な先行事業が、ますます大きくなって独占になるはずです。しかし全
くそうはならない。必ず、資本の小が資本の大をくつがえす。
マネーへの情熱なら、食欲や性欲のように、普通に分かる。だれだっ
てお金は欲しい。マネーを夢想することはだれにもできる。実行はど
うか?
必要なお金があれば、自尊の悲痛を避けることができる。モノの欲望
を満たすことも可能だ。虚栄や見栄も満足させる。
大成した事業家は、あとで周囲に不幸を招くこともあるくらいの必要
以上のマネーを得る。事業への情熱を、マネーだけで解くことはでき
ない。
事業の最初は、マネーが目的だったかも知れない。しかし途中で、彼
にとってのビジョンは大きくなる。階段を登る毎に、ビジョンと情熱
を大きくできる人がいる。
ビジョンとは幻想、あるいは幻視とも言える。未だ実現していないも
のだ。こうした事業の未来幻想、またはイリュージョンが人をとらえ
る。世界は未来への投企のダイナミズムの中にある。
事業の成功の過程では、マネーそのものは事業の十分条件としての目
標にはならなくなって来るように見える。「見える」と言うのは、私
が十分過ぎるマネーを一度ももったことがないからです。
▼限界効用逓減の法則
経済学の、重要な発見のひとつに「限界効用逓減の法則」があります。
空腹の時の最初のリンゴは、実に美味しい。2つ目になれば、美味
しさが減じる。3つ目や4つ目は、苦痛かもしれない。
限界効用(marginal utility)は、追加の(マージナルな)リンゴの
美味しさのことを言う。追加して食べれば食べるほど、リンゴの美味
しさは減って、ついには苦痛になる。
得られる限界効用は減少し、追加する効果は限りなくゼロ、またはマ
イナスになる。
20万円の給料が40万円になれば、効用と喜びは大きい。40万が
100万円になっても同様だろう。月収100万円が200万円にな
ったときも喜びは大きいはずだ。
しかし、同じ100万円の増加であっても、月収2000万円が21
00万円になったときの追加の100万円の限界効用は、ほぼゼロに
等しいくらいに減る。却って社会的な支出が増え、周囲に怨嗟が渦巻
き、マネーの効用は減るかもしれない。
▼異なる次元
満足する金額の水準は、人によって異なるかもしれない。しかし、そ
の人にとっての目標となる水準を超えたとき、そこからより多額のマ
ネーを目的にできるか?
その辺りから、事業への情熱は異なる次元に入るだろう。得られるマ
ネーは仕事の結果であって、それが事業の動機になることは減少する。
であれば、事業への情熱はどこからくるのか?
【情熱の効用】
「情熱は、必ず人を承服させる至高の雄弁術である。それは自然の技
巧とも言うべく、その方式はしくじることがない。それで、情熱のあ
る最も木訥(ぼくとつ)な人が、情熱のない最も雄弁な人よりもよく
相手を承服させるのである。」(『ラ・ロシュフコー 箴言集』の8
項)
フランス・モラリスト文学の最高峰と言われる『箴言集(1665)』でラ
・ロシュフコーは情熱の原因ではなく、効用を述べている。
情熱的な言動が人を動かすのは、とてもよくうなずける。稀代(きた
い)の頭脳と、明晰な言葉をもっていたラ・ロシュフコーが言う「情
熱は必ず人を承服させる至高の雄弁術」ということは信用していい。
事業は、顧客からは商品の代わりにマネーを、社員からは時間と有効
な働きを得ることだから、人を動かすということが根底になければな
らない。
しかし大成した事業には、対価(あるいはコスト)とひき換えに計算
される以上の情熱がある。仕事への動機付けともいう。
▼情熱の始原
情熱の始原は何か?
「人間の心の中では、情熱の不断の生殖が行われていて、それでひと
つの情熱の消滅は、すなわちもうひとつの情熱の出現とほぼ決まって
いる。(『箴言集』の10項)」
生殖とは、異なる性が相愛で出会って新しい生命を生むこと。あたか
も生殖のように、異質のものが出会って情熱は生成されるものか?
私の理解は及ばない。(いつか経験で分かるかも知れません。)
ラ・ロシュフコーは、一語たりとも吟味せずには使っていない。
「情念(pathos)は、往々にしてそれ自身と正反対の情念を生む。貪
欲は浪費癖を、浪費癖は貪欲を産み出すし、人はしばしば弱さから強
(したたか)かになり、臆病から向こう見ずになる。(『箴言集』の
11項」
これを読んで、見えてきた感じがする。事業の小成で、多くの人は普
通に満足してしまうかもしれない。
言い換えれば、小成功から更に進んでも、追加で得られるものの価値
が減るという限界効用逓減の法則に、見事にはまってしまう。つまり、
もうひとつのリンゴを求めるのは、どうでもいいことに思える。
(補注)人の貪欲、浪費、欲望、弱さ、強さ、情熱、意志は常識では
よく分かる。ラ・ロシュフコーはこうしたものを、情念のなせるわざ
と言う。科学時代以前の18世紀までは、こうした情念が思考家の考
察の対象になっていた。
しかし、現代科学はこうしたことの内容を解かない。われわれの知識
は偏ってしまった。わずかに心理学が、情念の領域に踏み込むが、本
人のあずかり知らない無意識の遠因を求めすぎ、嘘っぽくなる。フロ
イトが言った性的な欲望の昇華が、意志や情念であるのでは決してな
い。
われわれの意志は、自己原因であって、意志以外の原因があって、未
来への強い意志が生じるのではない。私の今日の決定と明日への意志
は、私の過去から説明はできない。
仮に過去からの因果で説明できるとすれば、世界の未来は、歴史の始
原から、あらかじめ確定していることになる。そんな馬鹿なことは、
ない。
歴史ですべての因果を説明できるなら、意志はない。意志は過去から
自由である。過去から自由なものを、意志と言う。意志はまぎれもな
く存在する。
▼分水嶺
おそらく、違いが出るのはそこからだ。最初は1億円だった事業の目
標が10億に、10億が1000億に、1000億が10兆円になる。
この水準は、もう自分が獲得するマネーへの情熱だけではない。
そして大成した事業家ほど、自分の成功が、他とは微差にすぎない、
微妙なものから得られたことを認識している。1000と1001は、
0.1%の無視できる違いにすぎない。
短距離水泳の金メダルは、ゴールの瞬間での、訓練された本能による
腕の伸ばしの違いであることも多い。商品の品質差も、実際は微妙だ。
取るに足りない差であることが多い。ソニーのMDとサンヨーのM
Dプレーヤーにどんな性能差がある? イメージ差というあやふやな
ものしかない。
しかし得られる結果と賞賛では、1位と2位では雲泥の差がある。
0.1%の差が、事業の成果では途方もない差を生む。イチローの安
打がたった数本少なかったら、栄光はなかった。
むしろ期待を裏切った非難が集中し、そこで潰れたかもしれない。微
妙な差が、断崖であることをイチロー本人が一番よく知っていたはず
だ。「われわれは他人の不幸には十分耐えられるだけの強さをもって
いる(『箴言集』第19項)」のだから。
次は、56試合連続安打の大リーグ新記録ですねという記者に対し、
彼は「まったく分からない。・・・可能性がある人間と見られるのは
嬉しいですが」と答える。当事者のホンネでしょう。
成果は、微妙な差が生んだにすぎないと知ったとき、今の1位や成功
も容易に失なわれるという認識に至る。
これを、より確実なものにするには、たった0.1%の追加の微差を
確保し続けるための、より強力な努力が必要になる。その努力を促す
ものが情熱だろうか。
そしてその努力は、単に努力する情熱ではなく、メソッドと工程をも
った方法的なものでなければならない。
■2.静かな情熱
イチローが262本の安打で、シスラーという名の人の、84年前の
記録を超えたと言う。
私は、野球にも相当に不案内であって、ずぶの素人の、無知な目しか
もっていない。
オープン戦を、オープンだから開幕戦と思っていて、途中で相手との
話が食い違い、ひどく笑われたことがある。そのとき、オープン戦の
意味を身に染みて覚えた。今は説明ができる。
野球の技術は、わからない。学校のクラスのサディストから、試合に
出され空振りの記憶と、ぽろぽろ球をこぼす自己嫌悪の覚えしかない
のです。自分の経験の、仕事の実感と生活の実感からしかとらえられ
ない。
【大切にする】
ずいぶん以前、イチローが小学生のチームを指導しているのをTVで
見た。彼が言ったのは、「野球がうまくなるには、グローブによく手
入れをし、バットを大切にすることです。」ということだった。
野球の技術的な言葉を期待していたが、周辺的に思える答えで意外だ
った。若いイチローが老成した名人のようなことを言った。
精神という言葉は、余計なものがつきすぎて感興を与えないものにな
っているが、このときは野球をとても大切にするイチローの精神を思
った。スピリット、あるいはエスプリ、あるいは想いと言えばいいだ
ろうか。
大山康晴が「将棋で上達する近道は、まず盤と駒のいいものを使うこ
とです。」と講演で言っていたことを思い出した。将棋を大切に考え
ることができるから上達する。
青木功がニュース・ステーションに出演したとき、当時の司会の久米
宏が「なんてきれいなクラブなんでしょう。自分のものは傷だらけで
す。」と言ったのを記憶している。青木は答えず、笑っていた。彼は
試合の度毎に、グリップのわずかな摩耗と劣化を感じ、取り換えてい
る。
小林秀雄は言った。名人は「モノと交わる。」 彫刻家が大理石と交
わるように、道具や素材と交わる。陶芸家は土と交わる。手で考える。
そして大切にする。大切にするから好きになる。良い店舗は例外なく、
クリンリネスが行き届いている。床も、顔が写るくらいぴかぴかで
す。料理屋も同じでしょう。厨房のステンレスが輝く。
【好き】
新記録の原動力は?という問いに対しては、「野球が好きだというこ
とですね・・・プロとして、何を見せなければならないかを忘れずに
プレーした」と答えた。
シアトルマリナーズは最下位で、勝敗への観客の興味はなくなってい
た。せっかく来た観客(顧客)に、プロとして何を見せなければなら
ないか。前稿の<Vol.197事業家の無私>にも通じる。表現は違うが内
容は同じです。
打率4割への挑戦は?と聞かれると、驚くべき答えだった。
「打率はコントロールできてしまう。野球が好きでグラウンドに立ち
たいというのが僕の原点。(4割の)打率を目標にしたら、打席に立
ちたくなくなる可能性がある。それは本意ではないから、目標にはで
きない。」
4割という打率を目標にすれば、4割になったあとヒットが打てず打
率を下げることがあるので、打席に立ちたくなくなることがあると言
う。それは自分ではない。ヒット数は、打率のようにはコントロール
できない。原点とはアイデンティティです。
【自己目標】
自分にとって満足できるための基準は?
「少なくともだれかに勝ったときではない。自分が定めたものを達成
したときに出てくるものです。」
シドニーで金メダルをとったマラソンの高橋尚子からも同じ言葉を聞
いた。自己目標。自分が自分に課した目標、あるいは基準。ここが鍵
でしょう。
NYヤンキースの松井がイチローを評して言った。「彼は努力する人
です。自分は、とうてい及ばない。」 あの、生真面目な松井すらが
言う。
【方法】
天才は生まれない。天才は意志で作られる。努力の方法を発明する。
選択と集中、そして努力の方法をモノマネから学習する。
考えるだけなら、皆いろいろできる。しかし実行は、たったひとつの
ことを選んで集中しなければならない。同時に2つのことはできない。
ここに、事業家の最初の関門があるのではないか。
人は選択を忌避することが多い。ひとつにきめてしまうことは可能性
を狭めると嫌がる。そして、今のこと以外を夢想する。実行がともな
わない夢想は、いつまで経っても夢で終わる。これは言い逃れであろ
う。
自分を振り返ってみればこれがよく分かる。夢想には、実行の情熱が
欠けている。実行とは、今日選んで今日行い、継続することだ。われ
われには永遠に今日しかないのだから。可能性は、あるものではない。
意志の選択によって作る。
しかし「われわれの持っている力は、意志よりも大きい。だから事を
不可能だと決め込むのは、往々にして自分自身に対する言い逃れなの
だ(『箴言集』第30項)」
意志にとっては自分自身こそが敵。これは体験です。
【選択】
彼の練習をいつも見ている記者が言った。「イチローはパワーがない
と言われるが、とんでもない誤認です。練習では、だれよりポンポン、
柵越えを打っている。彼はホームランバッターにもなることができ
る。」
しかし彼は、ヒットを選択して集中し、長打を棄てている。普通の人
なら両方を打つ誘惑に駆られる。両方を狙えば、イチローはなかった。
【情熱】
イチローは「野球が好きだ」と言った。サッカーの中田英寿の言葉と
同様、彼の言うことには無駄がない。おそらくは、だれよりも野球が
好きだと彼は言えるのだろう。野球を大切にし、好きなことでは人に
負けない。そうした自負が見える。
好きという言葉を情熱に換えれば、イチローの野球への情念がわかる
かも知れない。なぜ、そう言えるのか?
彼にとって、弛(たゆ)まず、飽きずに練習する方法を作ったからに
思える。つまり、松井にすら異常に思えるまで練習する方法を知って
いる。
【小さいこと】
イチローは記録を作ったあとのインタビューで言った。「小さいこと
を重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道だと感じ
ている。」
小さいこと・・・だれにとっても、常に、目前の小さなことしかない。
サム・ウォルトンも同じことを言った。「小さく考えよ。同時にた
くさんのことを考え、実行することはできないのだから。」 ここに、
選択の決断と集中がある。
おそらく、あらゆることに共通する。しかし多くの人は今日の小さな
ことが、大きなことにつながるとは考えない。大きな成功には、大き
な何かがなければならないと考える。
大きく、あれもこれも夢想してしまうから、どこから手をつけていい
か分からず、結果は実行ができない。私の体験を言っています。われ
われは決して来ることのない幸運を待ちすぎているのではないか。
真のところを言えば、「小さいことを重ねる」ということでイチロー
はとても正確に表現しているのかも知れない。あらゆる人には、今の、
ごく限られた環境の小さな世界しかない。今の1時間しかない。明
日は、いつまでたっても明日である。これが人間の時間だ。
不思議なことに、ひとつのことに集中していれば、目にするあらゆる
もの、聞くあらゆることから、壁を破るヒントがもたらされる。
渓流の水と浮かぶ枯れ葉を見て、技術的なブレークスルーを思いつく。
原稿の論理組みや、次の言葉に苦しんでいるとき、ふと見たTVの
会話から、あるいはまるで無関係な新聞の文章からも展開が浮かぶこ
とがある。
ひとつひとつは無意味にも思える小さなことを、弛まず積み重ねる。
それがとんでもないところへ行くただひとつの方法だった。練習や努
力の内観はそうしたものでしょう。ものづくりの技術も、似ている。
【到達点は自然】
素人目から見ても、イチローがヒットを打つときのフォルムは流麗で
す。流れるような、しなやかで自然な体の動きがある。自然や無理の
なさという形容の動きを、彼は十数年も意識し、作りあげたに違いな
い。
名工がカンナをかける動きは、無理な力がどこにもなく、流れるよう
に優雅で自然です。物流センターで、商品をピッキングする女性の流
れるような動きも、見ていてほれぼれするくらい。
ベネチアで見た、ガラス職人のコテさばきも魔術のようだった。真っ
赤に熔けた飴のようなガラス塊が、見る間に、見事なたてがみの透明
な馬になった。
どんな仕事にも、到達すべき熟練がある。専門化を極めた熟練は、み
んな似ている。ヤスリの微妙なひとこすりに、わが国の職人が誇る金
型作りがある。金型の精度が、日本の加工工業の生命。いずれも目の
前の小さなことだ。
■3.環世界とイリュージョン
犬が生きていたとき、彼女の目に、外部世界がどう見えているのか、
考えたことがある。われわれと同じ世界を見ているのか、まるで違う
のか? 解答は、どう考えて見つからなかった。
「長年一緒にいるのだから、そろそろ言ってごらん。この葡萄のよう
な目で何を見ているんですか?」と話しかけても、しっぽを振るだけ
だった。目をのぞき込んでも、深い碧(みどり)色しかなかった。
犬は相当な近視で、色のないグレーの世界を見ているらしい。しかし
彼らの、匂いと超音波をまでをとらえる音の世界は、われわれには想
像を絶する。
犬の感情の動きは、人に似ていてよくわかった。誉めれば喜びを全身
で露わにした。イタズラをして、怒った声の調子で誉めるとしっぽを
下げたから、複雑な言葉は理解せず、声音とトーンで判断しているこ
とが分かった。
「無い!」という言葉のN音は、自分にとって都合悪い否定の言葉と
して、理解していた感じがした。不思議に世界の否定の言葉には、N
音がはいっている。
▼環世界
『動物と人間の世界認識』(日高敏雄)を読んで、昆虫や動物は、わ
れわれとは違った世界を知覚していることをはっきりと知った。
モンシロ蝶には、われわれには見えない紫外線が見えるということが
証明されている。紫外線がどんな色に見えているのかは、永遠に分か
らないのだが。
モンシロ蝶のオスは、メスの翅(はね)の裏が反射する紫外線を、色
として認識し、求愛の行動をとるという。視界は75センチくらいら
しい。そのため、日だまりを浮かぶように翔ぶ。
カタツムリには、ぼんやりした明暗のパターンが見えるだけだという。
空を翔ぶトリにとっては、餌として見えるのは動いている昆虫だけ
だという。好物の芋虫がじっとしているとトリは気が付かない。芋虫
は天敵のトリを感じると、フリーズして身を守る。
動かない昆虫は、存在はしていても、トリにとって意味あるものとし
ては認識されていない。
トリは、モンシロ蝶とは違う、別のイリュージョンの世界に生きてい
る。
ドイツ人ユクスキュル(1846-1944)は『生物から見た世界』で、「環
世界(個々のイリュージョン)」という概念を作った。
環世界とは、まずは、動物の種によって、知覚している世界がそれぞ
れに異なるということである。
共通の客観的な世界を見ているように思えるが、実は、それぞれの種
(しゅ)に独特なイリュージョンを見ていることを実験と推論で証明
した。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0735.html
ユクスキュルが生きた20世紀初頭は、マルクスに代表される物質的、
経済的な世界観が主流だった。ユスキュルスは、古代観念論の亡霊
として無視され、大学教授の職を得ることもできなかった。
例えばモンシロ蝶、トリ、イヌ、ネコ、そしてカタツムリ、ハエ、コ
ウモリ、ダニは、それぞれ、世界を異なって知覚している。私が見て
いるこの部屋も、蚊にとっては同じようには知覚されていない。
ひらひらと翔ぶモンシロ蝶は、紫外線を色として知覚しているが、わ
れわれにはその色は見えない。どんな色なのかも分からない。輝く紫
を光にして束ねたガラスのような色かもしれない。
人間が知覚する「環世界」と、モンシロ蝶が知覚する「環世界」は異
なる。ハエは、触手と言われる脚で味を見分ける。舌が脚についてい
る。触って味を見分けるのは、人間にとって超能力に思える。
天才料理人は、市場でいい食材を見分けるために、こうした触覚能力
を、長年の訓練によって発達させているのかも知れない。
イチローは、優れた動体視力で、何を見ているのか。川上哲治は、投
手が投げる球の縫い目が見え、一瞬、球が止まっているように見える
時期があったと言った。技術が高い人には、それぞれの環世界がある
ように思える。
動物、昆虫、そして人間には、知覚する世界の違いがあることは分か
る。人間同士ではどうだろうか? 人間の、環世界にも違いがあるの
は想像できる。
マサイ族には、数キロ先の微細なものを見ることができる人が多数い
ると聞いたことがある。そうした、物理的な知覚の違いはきっとある。
ユクスキュルは、昆虫や動物であっても、生きるための餌や、生殖の
ための異性をただ機械のように認識し、機械のように反応しているの
ではないということも示している。
機械的な反応とは、自己意識がなく、外部からの刺激にただ応じるだ
けのものだ。例えばスイッチを入れれば自動的に動き、判断をしない。
昆虫も学習をする。ゴキブリの学習能力は高い。カラスなどはとて
も利口である。犬は言うまでもない。
動物にも、人間のような自己についての意識(対自の意識)があると
すれば、われわれの世界観はすっかり変わる。犬には自己意志が確か
に見えた。ただし未来への予感はあっても意志はないようだった。
岩にへばりつく牡蠣に自己意識があるか・・・
▼観念の世界
物理的ではない「観念の世界」ではどうか? 人間は言葉の働きを仲
介にして、存在が知覚できない概念(観念)を知ることができる。
紫外線は、人間には知覚ができない。しかし光を物理で解析すれば、
その正体は、電磁波であることを知識として知ることができる。動物
は光を独特に知覚しても、ここまでの分析能力はないようだ。
紫外線という言葉と、光を電磁場と見る科学的な解析で、われわれは
見えない「紫外線の存在」を知る。つまり紫外線や電磁波は、人間に
とっては「観念として」存在する。
もっとも微細な物質(波動?)とされるニュートリノは見えない。推
論の中にだけあった。カミオカンデの巨大水槽でその存在は証明され
た。
モンシロ蝶には見える紫外線を、われわれは目で知覚することはでき
ないが、波長の短い電磁波が、紫外線であって、波長の長い電子波が
やはり見えないが赤外線であることは知識として知ることができる。
地球はどう見ても平たく見えるけれども、球体であることも観念とし
て知っている。
パソコンの中では、半導体と言われるものの中を激しく電子が動き、
オン・オフの信号になっていることも知っている。そして、インター
ネット回線の中で、規則性をもった電子が信号となって、どこかのコ
ンピュータの画面に、意味ある文字や画像として表示されることも知
っている。
知覚的な言い換えれば感覚物理的な世界で見ているものは、皆、似て
いるかも知れない。かも知れないというのは、ある人の見る景色が私
の見るものと同じとは証明ができないから。
しかし、われわれの環世界に概念(観念上のもの)を含ませれば、五
感での知覚を超えた概念の世界では、個々人の認識は、相当に激しく
異なっているはずである。この認識を悟性の作用と言っている。
人は、観念の世界では個々に異なる環世界、イリュージョンをもつ。
敬虔なイスラム教信者であるムスリムにとっては、アッラーという唯
一神の存在は、疑うべくもないだろう。しかしアッラーの存在を、物
理的・科学的に実証すること永久にできない。
宗教は、物理的な知覚とは別の「神の存在を信じる」という認識の方
法を選ぶ。これは概念の世界である。言葉は概念の世界。神という概
念は、宗教人(びと)にとっては存在する。
少なくとも私には、ムスリムの、知覚を超えた神についての概念の世
界は実感ができない。コーランは興味をもって読めるが、私はそれを、
架空の小説のように読んでいるにすぎない。
神の言葉としてではなく人の創作として読んでいる。
つまり、ムスリム人とは世界認識が異なる。
■4.未来への投企
「未来」についてはどうだろうか。
未来は、物理的に存在するのか?
未来を手にとって眺めることは、だれにもできない。
未来は、われわれの思考と観念の中のものではないか。
われわれにとっては、いつまで経っても現在しかない。未来は類推は
できるが、本当のところは不確定である。もっとも大切な明日の自分
の命すら、100%確実ではない。過去を延長した確率で安心してい
るだけである。未来は、観念の中にしか存在しない。
「刻々と感じ、考え、決心するわれわれの意識は、後になって、やや
むを得ず歴史の衣装をまとうであろうが、今は、ただ前に向いた意志
であろう。この歴史的規定を脱した意志がなければ、われわれの現在
は保持できない。われわれは、皆そうして暮らしている(小林秀雄)」
小林も、一語たりともおろそかな言葉は使っていない。
物理的に、未来という観念の存在を実証はできない。
実証できないものの存在は、信じるしか方法はない。
われわれは、皮相な科学主義のイデオロギー(固定観念:ドグマ)か
ら、信じるという能力を退化させているのかも知れない。
事業家は、情熱をもって未来のイリュージョンを見る人だ。そのイリ
ュージョンを、事業のビジョンと言っている。事業家はビジョンによ
って幻視する。そして成功に信念を抱く。それが投企であり、人間の
企(くわだて)だ。
エンタープライズ(enterprise)は、未来の企画への能動的参加とい
う意味をもつ。これが、潰れるリスクと隣り合わせであることは、事
業家なら熟知しているはずである。
事業では、潰れる人のほうが圧倒的に多い。
確率で言えば、だれでも尻込みする。
私の知っている成功した事業家の口癖は、事ある毎に「あぁ、これで
潰れる。」 見ていて、滑稽になるくらい。彼は、不断の技術開発を
する。
寄らば大樹の会社員を夢にした人には、この躍動するリスク感はない。
安定には、報酬が少ないのは当然である。利益はリスクの逆数です。
これが利益の本質。確率的に10%しか成功しないと未来計量される
事業があるなら、成功すれば10倍の利益になる。事業利益の配当が、
報酬の原義です。
英国風の皮肉さをもった知性ケインズは、事業は理性ではなくアニマ
ル・スピリット(動物風の精神)からと言った。アニマルスピリット
は計算しない。それは未来の成功を信じる能力。
企業はリスクある未来を企てる。そして投資する。投資のリスクが無
ければ利益もない。成功を信じる能力をもつ人々が中核に集まって、
乏しい経営資源の限界の中で、「方法」を作る。未来は信じるという
ことでしか、認識はできない。そこには、成功への情熱以外に何もな
い。
「アイデンティティに根ざす信念、信念から情熱、私を駆り立て続け
たのはまぎれもない情熱だった。他人が信じてくれないときでも、自
らを信じきって一歩も譲らない。」と肉声で言ったのはサム・ウォル
トンだった。
情熱は、方法(言い換えれば戦略)をもたねばならない。方法が経営
資源になる。戦略とは、方法の設計図とスケジューリング(工程図)
でもある。工程は実行されねばならない。会社員も、実は安定という
リスクに投企している。
設計図や工程図が描くものは、実際にはまだ存在しないイリュージョ
ンである。事業家は、こうした未来への投企を実行するというイリュ
ージョンに強く憑かれた人だ。
情熱の原義は、パッション(passion)。パッションとは受難。情熱に
受難する。情熱が取り憑く人がいる。これがもっとも正確な表現に思
える。
情念は、取り憑いて人を動かす。情念の存在は、物理では証明ができ
ない。それは人を動かす力をもった美と同様に「感じられる」ものだ
ろう。
実行の方法は、「小さいことを重ねることが、とんでもないところに
行くただひとつの道だと感じている。」 これ以上に見事な表現はな
い。
イチローにとっても、未来は見えてはいなかった。彼は、静かな情熱
と方法をもっていた。眼前の今の環境と条件で、とても小さく、1本
ずつ安打を打つ。
イチローは方法の普遍に至った。
米国民は、歓呼した。
人種があふれたスタンドからの、地鳴りのような賞賛とこの上もない
尊敬、そして鈴木一郎が、米国で働くことの誇りに、胸をふるわせた
多くの人がいた。
日本から一人で来たイチローが・・・という言葉に、多くの日本人は
激しく感応した。
一弓(いっきゅう:柴犬)と、家内に感謝したいと彼は微笑んで言っ
た。一弓の「環世界」では、オフに、一緒に遊んでくれることの予感
の喜びだったに違いない。
シャーリー・・・どこにいるのか。上梓した書はお前に捧げたよ。
【後記】
言葉少ない実行家イチローの表現は、実に高度だと感じました。事業
の謎が、彼の一言で解けたように思った。シュンペーターが言った創
造的破壊もこれで得心できます。
『利益経営の技術と精神』は、次第にいろんな企業に浸透しています。
いろんな人から、難しいと言われます。
以下のメールを許可を取らず掲載することをおゆるし下さい。
(これで三回目でしょうか(笑) 一人でも多くの人に読んで欲しい
のです。)
<書店の経営に携わっている者です。『利益経営の技術と精神』たい
へん興味深く読みました。最近読んだ本の中では、ずば抜けて読み応
えがありました・・・>
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【ビジネス知識源 読者アンケート 】
読者の方からの意見や感想を、書く内容に反映させることを目的とす
るアンケートです。いただく感想は、とても参考になります。
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▼本無料版と姉妹編である有料版の、最近のものの目次です。
<173号:株で利益を上げる「不滅の真理」はあるのか?(3)>
1.ファンダメンタル派の株価の見方
2.株価の働き
3.しかし・・・問題がある
4.地価で例える3条件
5.チャート派(テクニカル派)の見方
6.チャート派の信念と方法
7.チャート派の信念の根拠になっている前提と問題点
8.チャート派の方法に関して検討すべきこと
9.バイ&ホールド(Buy&Hold)と比較しなければならない
10.売買のタイミングを見ることの困難さ
<174号:株で利益を上げる「不滅の真理」はあるのか?(4)>
1.原理は単純
2.7%の確率という結論
3.実際:日経平均(225種平均株価)の動き
4.テクニカル派の抵抗線:移動平均はどんな意味をもつのか?
5.抵抗線と支持線を、行動ファイナンス理論で説明すると
6.まとめれば
7.2つの方法
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